喪ブログ徘徊してて見つけた不毛な論争。

ここからあちこちに飛び火してなかなか楽しい騒ぎになつてゐるらしい。でもつて、ここでコメントしてゐる「くみ」なる人物の意見が素晴らしいとあちこちで賞賛されてゐたのでざつと目を通した。


('A`)


時折喪板に涌いて来ては説教かます「ポジ厨」そのものぢやねえか。何がいいんだか。脳味噌沸いてるのかね?

喪男板に縁のない「健全な」読者諸兄姉に説明すると、「ポジ厨」とは、
・身なりを清潔にしてゐれば大丈夫だよ
・当たつて砕けないから駄目なんだよ
・歩み寄る努力をしないからいけないんだよ
等々の言説を駆使して我等喪男に御高説を垂れる人のことである。はつきりいつて迷惑以外の何者でもないし、問題意識が完全にずれてゐるので、喪男板で感銘を受ける者は少ない。

まあポジ厨はおいとくか。喪男がもてないことに対して不満を抱くのは、「自分が」もてないことが不満なのではなく、ある種の「他人が」もててゐること、そしてその理由を女性がけして認めようとしないところにある。平たく言ふと「自分より明らかに問題があると思われる男が自分よりもててゐる」事実に対し、多くの喪男は「要はルックスだよね」と納得してゐるのに、「それは違ふ」と恋愛至上主義者が反駁するものだから、「何を白々しい」と喪男が反撥するのである。
ただかう書くと、喪男が単に僻んでゐるだけ*1にしか見えないので、簡単な例を挙げる。

宅間守
・麻原章晃
・その他死刑囚
・先日女性を監禁して捕まつた「小林王子」
・相手に暴力を振るつたり、浮気や借金を繰り返して発言小町で相談される男たち

こんな男たちでも彼女や妻がゐたのに、なぜ自分にはゐないのかといふ不満、疑問、劣等感等が喪男にはある。そして、周囲が「あんな屑でさへ彼女や妻がゐるのに、さういふ相手がゐない喪男はさらに人格的に問題があるのではないか」的な見方を自分にしてゐるのではないかとの恐怖がある。
ここで、「所詮は顔」といへば多くの喪男はある意味で「救はれる」のだ。喪男は自分の容姿が他の男に対して大きく引けをとつてをり、女性にとつて魅力的ではないことを十分知つてゐるから。
だが、多くの恋愛至上主義者は、喪男喪男である理由を容姿に求めてゐることを否定する。それは喪男にとつて苦痛なのだ。何故ならそれは「お前がもてないのはお前の人格に問題がある、つまりお前は犯罪者より人格的に劣る屑である」と言つてゐるに等しいのだから。それに喪男は反撥する。顔が悪いだけでそこまで言はれる義理はないと。そして恋愛至上主義者は自分が喪男の人格を否定してゐるといふ意識がないため、双方の溝は広がるばかりである。
喪男の発想は些か極端なきらひがあるのは事実だ。恋愛にいそしむ男女の全てが全てDQNのわけがない*2。だが、喪男が鬱屈してゐるのは「自分よりも人格的に明らかに劣る」(と喪男が見てゐる)男が自分よりもてるといふ事実であり、その事実の解釈として「自分よりイケメンだから」といふ、喪男としてはしごく正当な理由を否定されるからである。それも嘘で。そりや怒るだらうよ、普通。

独善は認めよう。法螺ならば笑はう。だが偽善の腐臭には吐き気がするし、欺瞞を重ねた奇麗事を一々聞いてゐては耳が腐る。さういふことだ。


('A`) 喪男云々といふより私個人の私怨の垂れ流しに近いな、これは。


最後におフランスの、ラ・ロシュフコーの言葉を恋愛至上主義者に捧げよう。
人が恋について話すのを一度も聞かなかつたら、決して恋などしなかつただらうと思はれる連中がゐる。

*1:さういふ側面が全く存在しないとまでは私も言はない。

*2:…よな?