母来たる。

汚部屋の惨状について叱られるのは想定内だつたがねこを内緒で買つたことも叱られたでござる(´・ω・`)
でもさあ、「正直まう限界だつたがあなたが死ぬ前に死ぬわけにもいかないのであと十年程度は保つ精神安定剤として購入しました文句あるか」とは言へないだらう?
しかもいつも黄金週間には帰郷するのに今回はしないのはねこのせゐだと濡れ衣まで着せられた。
あのねあのね、貴方の息子は7月に異動があるとわかりきつてゐるのに準備をしないほど無責任ぢやないの。
そこまで無責任だつたら後始末を後任に押し付けて4月1日付の越県異動の内示に飛びついてるつての。

ねこが来て約一週間が過ぎた。

名前を呼んでも来ないのはいい。よくないけど。
だが猫じやらしで遊ぶ時とか抱き上げた腕から飛び降りるときに着地失敗するのはねことしてどうなのか。さういふ目で眺めると歩き方も何か変な気がしてくる。
脊髄性筋萎縮症とかだつたら購入した店名を晒しあげるべきなのだらうか。

本日の調達品。

岳飛伝 4 日暈の章

岳飛伝 4 日暈の章



想いの軌跡―1975‐2012

想いの軌跡―1975‐2012

今となつては叶はぬ夢物語だが、私はこの人に防衛大の校長になつてほしかつた。
五百旗頭某より余程適役だつたと思ふ。


考える生き方

考える生き方

「人生の基調低音は不幸である」とは曾野綾子の弁だつたと思ふ。そして福田恆存は「幸福論とは不幸に耐へる術」のことだと『私の幸福論』で述べてゐた(はづ)。福田和也「大先生」も『価値ある人生のために―若き友への手紙』で何事かを語つてゐた。この本もさういふ、「自分の人生との折り合ひのつけ方」の系譜に位置するのだらうか。
文章は大変読みやすい。これだけ平易に書ける人が極東ブログなどで韜晦芸をしばしばやるのはどうにも私の理解の及ばないところがあるが、まあ人の趣味にケチつけるのもあれだ。でもこの本も韜晦芸全開だつたら駅の近くのドブ川におほきく振りかぶつて投げ捨てるつもりだつたことは正直に告白しておく。
内容は所謂自分語り。自分の経験と引き合はせて同意するところもあれば意見を異にするところもあるが、自分語りといふものに往々にしてつきまとふ不快さを感じさせないのは大した筆力だと思ふ。
正直若い人向けにも見えないし、著者と同年代以上で人生の締め括り方を具体的に考へるやうな人向けでもないと思ふが、三十代半ば〜五十前あたりの、大体自分の「この先」が見えて来て、日々に少し疲れを感じてゐる人々にはおすすめしたい。Twitterだとところどころのお役立ち知識に感心してゐる人が見受けられたが、さういふ読み方よりも市井の一私人の人生といふものの滋味をまるごと味はふつもりで読むのが乙であらうと私は思つた。

本日の調達品。

この表紙絵に惹かれて現在2巻目の途中だがなかなか良い。

本日の調達品。

飛べない蝶と空の鯱 〜たゆたう島の郵便箱〜 (ガガガ文庫)

飛べない蝶と空の鯱 〜たゆたう島の郵便箱〜 (ガガガ文庫)



職場の近くの本屋で発売直後と思しき3巻の表紙絵に惹かれたがそこには1,2巻がないので池袋のジュンク堂書店で購入。
だがそちらには3巻がなかつた。