妙なハナシだ。

イラクで拉致された邦人について、自己責任だから救出費用を払へ、いや国が国民を保護するのは当然だとか、彼らのやうな莫迦はバッシングされて当然、いや彼らをバッシングするのはをかしいとか、未だにかまびすしい。
あと、二番目に拉致された反政府的傾向を有するジャーナリスト氏が、結果責任を問はれて断罪されるのは辛いと宣つたとか。
何とも言ひやうのない虚脱感を覚える。公務員だらうが民間人だらうが、はたまた犯罪者だらうが、かういふ場合国家にその成員を保護する責任があるのは当然で、だからこそ北朝鮮が我が国の国民を拉致したのを長く放置してゐた(やうに見える)政府が批判されてゐたのではなかつたか。事が済んだ後に国家が保護した国民を顕彰したり絞首台に送つたりするのはまた別の問題だらう。
その意味で国家の義務の履行としての邦人救出にかかつた費用を被害者に負担せよといふのは私には疑問である*1
バッシングをやめろとか結果責任を問はれるのは辛いといふことについては「甘えるな」としか言ひやうがない。彼らは金や名誉、あるいは何らかの義務感に駆られて退避勧告(それは国家がそこでは自らに求められてゐる自国民の保護が不可能ないし困難であるとの表明にほかならない)を無視してイラクに踏み込んだのだらうに。成功の際の見返りは欲しい、でも失敗したときに何らかの被害を被るのは嫌だといふのは餓鬼の泣き言以上の意味はない。失つたのは機材と時間で、得られなかつたのは称賛。得たものは世間の冷ややかな視線とバッシング、ついでに頼んでもゐないタクシーの配車か。気の毒かもしれないが、それが彼らの体を張つた賭けの結果だ。
ああ、彼らは二度とイラクに行くべきでないと言ふつもりはまつたくない。何度でも行くがいい。もしも一山当てたときは皆手の平を返して誉めちぎつてくれるさ。また、再度捕まつたときは勝手に死ねといふつもりもない。国は何度でも彼らを助けるべきだ。彼らがこの国の民である限り。
またイラクに行きたいとぬかした彼らについて、次は助けてなどやらんと言ひたいだらう現場の公務員達には、自分から見て著しく矮小なものに惜しみなく注ぐ愛こそアガペーであると*2弁へてもらひたい。わかりにくければ、天皇陛下の大御心と言ひ換へてもいい。
…私の方がわけがわからなくなつてきたので、まう少しわかりやすく言はう。
長○閣下の趣意書に忙殺されるのと、自ら危地に飛び込んで戻れなくなる莫迦を救ふのと、どちらがかつて唱へた公僕としての誓約を全うする道だらうか?
誰ですか「カレー味のうんことうんこ味のカレー」を思ひ出してゐるのは。失敬だなチミは。
×妻閣下の趣意書はいふなればうんこ味のうんこだ。見誤つてはいけない。

*1:一種の威嚇としてさういふ請求を行なふこと自体を絶対に不可とまでは言はない。国民の無謀な行動を制肘して危険から遠ざけたり、またその後始末にかかるであらう費用の発生を抑止することも国民に対する義務の履行といえなくもないからだ。

*2:小室直樹氏がさういふことを言つてゐた気がする。