フェミと褌とたわし。

本日記をヲチしてをられるらしい物好き具眼の士id:celestial氏のところで、少女が褌姿で街を駆け回るといふ、ペドやロリの皆様はハァハァでフェミの皆様が盗撮よ性暴力よムキー!な祭典があると知つた。そらこの御時世ぢやあ結構な燃料ではあるわな。
で、氏は15日の日記でかう述べてをられる。


少女を「中性的」なものとして、女性として特別に扱わないことはよくあって、海や川でも上半身裸の女の子が水遊びしたりしている。そういう背景もあっての「ふんどし」なのかもしれないし、「伝統だ!」なんて言い出す奴もいるかもしれないが(笑)、
ノシ

で、氏は昨日の日記で再論し、かう述べてをられる。


 ですから私の立場は、上のid:using_pleasure さんの表現で言うと、「本音はリベラル派だけれど、あのふんどし/締め込みは普通の服装ではないし、『性的な視線』を浴びている以上、(ラディカル派のいうように)ふんどし/締め込みの廃止によって自己防衛をはかる他ないのでは?」というものです。



 id:using_pleasure さんは、地域社会によるバックラッシュを懸念されています。しかしあの祭りに「少女のふんどし」が必要不可欠とは言えないはず。もともとは、あの「ふんどし」に性暴力的意味合いはなかったのだと思いますが、あのように性的な視線に晒されている以上、自然消滅していかざるを得ないのではないでしょうか。ちょうど、女子体操服のブルマーのように。

身も蓋も無い言ひ方をすると、ブルマーが短パンにならうがスパッツにならうが、はたまたジャージにならうが、少女に「萌える」人たちを止めることはできないだらうと思ふ。彼らを甘く見てはならない。ただ「少女(または幼女)である」が故に、彼女らは「性的な視線」にさらされることから逃れられまい。

昔あつたガングロだのゴングロだのは、その「まなざし」*1から逃れる彼女らなりの抵抗だつたのかもしれない。性的な視線にさらされる以外に価値もない連中が自分でそれを捨ててどうすると私が思つてゐたのはここだけの秘密だ。

ところで、褌といへば、男も下記URLのやうに容赦の無い「性的な視線」の対象になつてゐるのだが、それはどういふ風に位置づけられるのだらうか。
http://fujoshi.moe-nifty.com/chizu/2004/03/post_1.html

男にロリあれば女に腐女子あり。まさに世界は腐つてゐるな。私はイルパラッツォ様が光臨するのを待つとしよう。

*1:ちなみにかういふ言葉を恥づかしげもなく使用する人間を私は信用しない。ある種の思想的偏向がある人々がよく使用するからだ。他に「たたかい」(平仮名であることがミソ)や「地平」「子ども」などといふ言葉を好むことが多い。