忠誠の代価。

中共政府の新聞が社説で、過去についての日本の謝罪は価値がないと論じたさうな。
http://news.goo.ne.jp/news/reuters/kokusai/20050525/JAPAN-177829.html
これで「我が国はいつまで支那に謝罪するべきか」といふ問題に片がついたとみて良いだらう。先方が価値を否定してゐるのに詫びを入れても仕方あるまい。
「相手が受け入れることを前提として謝罪をするのはをかしい」といふ考へ方がある。なるほどもつともだが、逆に相手が受け入れないとわかつてゐて謝罪するのも奇怪な話だ。
「お礼の言葉が欲しかつたわけではない」といふフレーズは新聞の投書欄にまま見られるが、それが出てくるのは決まつて「あつてしかるべき礼の言葉がなかつた」といふ恨み節である。「いやいや、お礼なんて要りませんよ」と口にすることで、善人になつた気分を味はへる機会を奪われた人の恨みは深い。
人は自分の気に入るやうな言動を、自分が働き掛けてではなく、相手が「自発的に」とることを求める。相手が受け入れることを期待して謝罪するのも、礼をいふに及ばないと大人ぶるのも、同じコインの裏表にすぎない。


さて。
http://www.asahi.com/paper/editorial20050525.html
熱烈な忠勤振りが空回る築地の明日はどつちだ。