同志を殺害された恨みを忘れぬ(-@∀@)。

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復讐心も道徳の源泉のひとつだからただそれだけで批判はしないが。


 途上国の発展過程では、混乱した社会を治め、社会インフラを整備するために、独裁的な政権ができることもある。しかし、経済発展とともにその時代は終わり、民主化への道を歩む。日本人としての人情は別として、フジモリ氏の政権復帰はこうした時計の針を戻すことになる恐れはないか。
 フジモリ氏の運命を決めるのは、最終的にはペルー国民である。復帰となれば、国内の分裂が深刻になるだけでなく、国際社会からも厳しい目を向けられる筈だ。それはペルー国民にとっても「危険な賭け」となるだろう。
持つて回つた表現だが、フジモリ氏の復帰は国内の分裂や国外の批判を招くから、無能で腐敗したトレド政権に彼を引き渡して処刑といふのが朝日の理想的なシナリオらしい。にしてもこの嫌らしいおためごかしの文章はどうだ。吐き気がする。
だが、極めて不本意なことに、私もフジモリ氏がペルー政界に復帰することには反対である。日本国籍を有することを理由に我が国に「亡命」した者が、ペルー国籍を有することを理由に大統領戦に出ようといふのは一体何の冗談か。我が国が二重国籍を認めぬ国である以上、日本国籍を有するとの主張はペルー国籍の放棄とセットで語られるべきである。我が国の害務省が怠慢にも二重国籍状態の解消迫らぬのをいいことに、二重国籍状態を保ち続けるコスモポリタン気取りの阿呆と同様の真似をしたことを私は氏の名誉のために惜しむ。我が国の害務省が信頼に足るか否かを熟知してゐたが故に、亡命ではなく日本国籍を主張するに至つたことは想像に難くないが、それでもさう主張するならペルーへの未練は断ち切るべきではなかつたか。
それにしても彼は朝日の望む通り、トレド政権に裁かれて終はるのだらうか。晩節を汚して散るのは、自業自得とはいへ気の毒な話ではある。生き延びて欲しいものだが。