朝の風景。

人込みの流れに逆行し、挙げ句エレベーターの殻*1と女性に挟まれて「痛えな」と罵つてゐた女性を見かけた。彼女は何を思つたか踵をかへし、自分を挟み込んだ(形になつた)女性を追ひかけていつた。その後どうなつたかは知らん。キャットファイトでもやつたならヲチしたのだが。
さて、女性がかういふ「汚い」言葉を常用するやうになつたのは、積木崩しでも大映テレビドラマでもなく、中山美穂主演の「毎度おさわがせします」以降ではないか。当時小学生の私はそれを眺めて流行モノだからいづれは廃れ、女子の言葉遣ひは元に戻るだらうとみてゐた。その年頃でさういふことを考へてゐた実にけつたくその悪い餓鬼だつたことはひとまづおいて、我ながら実に甘かつたと云はざるを得ない。一度品性を失つた者がそれを取り戻すことはほぼ不可能であり、幼い頃に学ばなかつた者がそれを得るのは至難である。当時の私にはそれがわかつてゐなかつた。
認めたくない若さ故のあやまちといふものを潔く認めたところで本日の産経。「待ったなし 人口減少時代」といふ記事で気になる箇所をみつけた。国立民族博物館の庄司博史教授(言語学)の発言らしい。


 ――日本での言語政策の難しさの一因は〝世界一難解〟といわれる日本語自体にあるとも言われるが
 「近年は〝世界一難解な日本語〟を上手に使いこなす外国人が増えてきたが、やはり依然、難しい言語であることに変わりはない。大きな壁になっているのは漢字。言葉はあくまで意志を伝えるコミュニケーションツールだから、難しい漢字を無くしていくなどし、国際化の時代に応じた日本語を模索し、変革していく必要もあるのではないか。
 《同館の初代館長を務めた梅棹忠夫氏は、かつて外国人が話す稚拙な日本語を「おぞましい日本語」と表現した。が、この〝おぞましさ〟を受け入れることが日本語の国際化を高めることだとも主張していた》
 ――日本語を固有の文化と見れば、それが乱れることに懸念も広がるのではないか
 「日本語の中でも外国人に難しいとされる敬語の数も将来は減るだろう。でも、日本人でもすでに若者の敬語は無きに等しい状況。最近は教授にも同級生のような言葉で話しかける学生も多い。私も以前は違和感があったが、今では彼らの『おぞましい日本語』に慣れてしまった。外国人との共生社会が進めば、こんな寛容さが日本人に求められることになる」
単なる便不便で言語を破壊しようとしてゐる言語学者。そしてそれを有り難く拝聴する記者。みんなしねばいいのに。そして社説では今頃女系天皇が将来ありうるかも知れないとの懸念。遅過ぎる。単なるアリバイ作りのために論じてゐるやうにしか見えない。といふわけで今朝の産経に贈る言葉
はいはい憂国憂国
さういへば産経新聞社発行の雑誌「正論」の編集長がブログで読者減を嘆いてをられた。*2
一皮剥けば(-@∀@)と大差ないことが読者にばれたからぢやないかな。
と、かつての読者としては思ふのだがどうか。メディアリテラシーが向上したと喜んでいいと思ふ。

*1:表現が拙くて分かりにくいだらうが、アクリル張りか何かで中が丸見えのアレだ。

*2:見に行つたら図書館に置いて貰へぬことを嘆いてゐるのであつて私の表現は明らかに誤りだが、直すと結論までいぢることになつて面倒だから直さない。無論謝罪も賠償もしない。