本日の調達品。

帰宅したら郵便受けに突つ込んであつた。

神様がくれたHIV

神様がくれたHIV


 エイズウイルスに感染しない絶対に安全なセックスは、お互い感染していないのを確認したうえで、コンドームなどできっちり予防することだと、一般に言われている。
 でも、誰かを好きになって、いざそういう関係になったとき、
「あなたはHIVに感染していないですか?」と、何のためらいもなく相手に聞ける人はいるだろうか? セックスするときは必ずコンドームを、あなたは使っていますか? つい忘れたということは、絶対にないですか? そう考えると、この病気は誰が感染しても不思議ではないと、私は思う。かつて言われたようにエイズはもう、ゲイの人たちや、性行動が乱れた人たちに特有の病気ではないのだ。
些細な面倒や軋轢を嫌ふ心と自分だけは大丈夫だと思ふ慢心が、教科書通りの予防法でほぼ完全に防げるこの病を蔓延させてゐる現実がある。その意味で著者の言ひ分には一分の理もないとはいへない。著者に同情や理解を示す心ある人も多からう。だが。

  • 著者は保健婦
  • 著者にHIVをうつした彼氏はHIVが蔓延するアフリカ大陸はタンザニアのお人
  • タンザニアでは、家族計画のために、公営の診療所で、ピルもコンドームも無料で配布されていた」(同書34〜5頁)
  • なのに彼がコンドームの付け方知らなくてうまく自分ではめられないから「こんなに面倒ならと、私はピルを飲むようになった」(同書34〜5頁)

('A`) はい、まだ彼女の「誰が感染しても不思議ではない」といふ言葉が説得的だと思ふ人挙手。先生怒らないから。
さて。普段から気を付けてゐたのに、珍しく気が抜けたときに運悪く事故を起こした人(Aとする)がゐたとする。そしてまう一方、普段から「自分だけは大丈夫」と危険回避の手段を取らずに事故を起こした人(Bとする)がゐたとする。事故の被害が同規模だつたとして、この二者は等量に非難されるべきといふ人にはどのやうな類型が考へられるだらうか。
一つはこの件に全く関心の無い他者。彼にとつてどうでもいいことなら、それこそ「客観的に」被害が等量なことをもつて非難も等量だといふかもしれない。
次にこの件の被害者。被害を受けた者にとつては加害者側の事情など知つたことではないといふ者もゐよう。
そして最後。当事者B。彼は被害の規模が変はらぬことをもつて、自分はA以上に非難される謂れはないと主張するだらう。


 サルサというダンスは、男女がリズムを介して男らしさ女らしさを表現し合う、究極の大人のコミュニケーションではないかと思う。私はまだまだ「コミュニケーション」の域まで達していないけれど、パートナーと気持ちよく踊れると、まるで恋愛しているような気分になるそうだ。
 体と体のコミュニケーションで気持ちよくなれるなんて、何かに似てる……。せうだ、これって完全にセーファー・セックスだ! そう思った私は『サルサエイズ予防』というキャッチフレーズを考えて、国立公衆衛生院エイズコースの受講生たちに勧めてみたが、誰も見向きもしなかった。いいアイデアなのに……。これはHIVに感染して、恋愛に対して積極性がなくなった人たちにもおすすめだ。
思はず出るお国言葉、「だらでなしか*1


('A`)ノシ 先生ちよつとアマゾンでこの本酷評してくる

*1:意味がわからない人は周りの富山出身者に聞いてみよう。