「私はあなたの意見に反対だが、あなたがそれをいう自由は命をかけて守る。」

と、おフランス啓蒙思想ヴォルテールはいつたとか。
通勤電車の車内広告から。

言葉は
感情的で、
残酷で、
ときに無力だ。

それでも
私たちは信じている、
言葉のチカラを。

ジャーナリスト宣言
新聞

で、かういふ広告を出してゐる新聞社の今朝の社説。
http://www.asahi.com/paper/editorial20060202.html削除対策用


寛仁さま 発言はもう控えては
(略)
皇族にも様々な思いはあるだろう。自らにかかわることだけに当然だ。だが、それを外に向かって発言するとなると、どうか。
(略)
 しかし、今回の一連の寛仁さまの発言は、皇族として守るべき一線を超えているように思う。
 寛仁さまはインタビューで「皇族は政治にタッチしないという大原則があります」と述べている。その大原則に反するのではないかと考えるからだ。
散々勿体をつけてゐるが、何のことはない、朝日が皇族にも言論の自由を「認めてやる」のは、皇室を一般家庭の水準に引きずり落として権威とか神聖性とか大げさな言葉以前に存在する一種の「ありがたみ」を害する場合に限るといつてゐるわけだ。「有り難い」ものを「どこにでもある」ものにして、その固有の価値を毀損せしめんとする「開かれた皇室」論の当然の帰結といへばさうなのだが。

 寛仁さまは皇位継承については「政治を超えた問題だ」と述べている。歴史や伝統の問題ということだろう。
 しかし、天皇制をどのようなかたちで続けるかは国の基本にかかわることで、政治とは切り離せない。
皇位継承問題は政治性を有する。なるほど事実だらう。政治的要素が含まれてゐれば皇室の方々の発言は罷りならぬといひたげな愚論はひとまづおくとして、朝日は何故三笠宮寛仁殿下がかやうな「政治的な」発言をなされたかについてわかつてゐないのだらうか。「政治」が「歴史や伝統」を蔑ろに、いや裏切つて話を進めようとしてゐるから殿下が火中の栗を拾ふやうな真似をなさつておいでなのだ。自称『有識者会議』とやらが文字通りに皇室の歴史や伝統に対する相応の知識を有してゐれば何の問題もなかつただらう。私は選良で構成された機関でもない、単なる総理大臣の諮問機関「ごとき」が政治の中で大きな顔をするのは如何なものかと思つてゐるが、宮様が他の諮問機関のありやうにアヤをつけられたといふ話は聞いたことがない。

 寛仁さまひとりが発言を続ければ、それが皇室の総意と誤解されかねない。そろそろ発言を控えてはいかがだろうか。
つまりかういふことか。


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    (-@∀@)< 私は貴方の意見に反対だ。
  φ⊂  朝 )  | だから私は貴方の意見を言う権利を全力で潰す。
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    (__)_)

よくもまあこれで「ジャーナリスト宣言。」なんて言へるもんだ。