「これはテロね」

先日の亀打氏の試合においてローブローを許容した審判については何も言はないくせに、WBCの審判には一面のコラムで文句をつける本日の産経新聞二十八面特集欄から。まつたくどの口でいふか。


 新聞には国民の知る権利にこたえ、公正な情報を提供するという社会的・公共的使命がある。(中略)特殊指定と再販は、新聞の使命を果たすためになくてはならない制度といえる。
 その特殊指定が廃止されたらどうなるのか。過当競争に歯止めをかけることが難しくなり、結果として販売店の大型化・寡占化につながる。ひいては人口が少なく、販売コストのかかる山間部や過疎地では、購読料の引き上げ、配達拒否といった動きが出てくることも予想されるのだ。
道路公団には国民の移動の自由にこたへ、安全な道路網を提供するという社会的・公共的使命がある」。はい、違和感がまるでありませんね。
魚屋には魚屋の、肉屋には肉屋の正義がある。であるならば政治屋や売文屋にも正義があるのかもしれない。だがかういふ自分の職業を尊しとする口吻には、風俗のお姉さんに面と向かつて「職業には貴賤がある」といつて不興を買つた私ですら反撥したくなる。といふか何をやつてゐるんだツ! ヽ(゚∀゚)ノ
結局産経はぢめ新聞界の主張はかういふことだらう。「私たちが既得権益や高コストと体質と批判する、自由競争を廃したところぢやなきや私たちは生きられないんだからね! あなたが守つてくれないとココロもカラダも売るんだから。ほ、本当だからね!!」…何か最後の方はツンデレスキーなヲタの方には誠に申し訳ない表現になつてしまつた。
そこには「良いものなら多少値が張つても手に入れるだらう」といふ消費者への信頼がない。そして「良いものだから多少身を削つても多くの人に届けたい」といふ生産者としての衿持がない。といふかそもそも「良いもの」であるかどうかが疑問だが、それをいつてはおしまひか。
さて、ここで難ずるべきは、我が職こそは聖職なるぞといふ新聞の増上慢ではない。保護しなければ損するところは切り捨てるかもよといふ、「国民の知る権利」とやらを人質にとつた「脅迫」である。
我が畏友Tが小学生の頃、校門前で児童を捕まへては「神」への帰依を説く耶蘇がゐたさうな。その際「地獄」がどんなに恐ろしいかとおどろおどろしく語ることで回心をはかつたとのことで、友はそれを「脅迫である」と直観して耳を貸さなかつたといふ。卓見である。恐怖心を煽る宗教など邪教である。それ以前に自分を崇めない民は救はぬといふ神が至善至高なるものである筈もない。
さて。かつて思慮が足りない青年を我が国はテロに屈しないといつて見殺しにしたことがある。正しい判断であつた。であるならば今回も脅迫に屈するべきではあるまい。何、たかがマスゴミのカラーが多少減るだけだ。もつとも違ひを主張できる程のものがあればの話だが。
産経も朝日も私から見れば同じ箱のクレヨンの青と赤程度の違ひしかない。かうして日記のネタにするとき以外はわざわざ区別するに及ばないと思ふがどうだらう。