確かに手の平は返すためにあるものだけれども。

永田「折り紙」寿康氏がガセネタ掴まされて政治生命の危機について。新聞を見ると情報源は最後まで秘匿するべきだつた、今頃公表するのは自分が辞職したくないからだとの意見が多くて閉口する。少なくとも私は永田氏が公表する前にマスゴミに出てきた「市井の声」で情報源を秘匿するべきだといふ意見を見た記憶が無い。むしろガセネタ掴まされたんだからこの期に及んで庇ふ方が妙だといふ意見が多かつた気がする。
永田氏を庇ふつもりはさらさらない。曲がりなりにも民間人相手に怪文書一つだけを根拠に国政調査権の発動を求めるやうな奴輩が法治国家における政治家として適性を全く有しないこと程度は私にもわかつてゐる。
だが、氏がなけなしの意地だか良心だかを総動員して情報源を庇つてゐるうちは公表しないのはをかしいと難じ、彼が周囲の圧力に屈したら今度は秘匿するべき情報源を公表したのは自分可愛さだといふのは余りに醜い情景である。
これが現在の日本人の民度なのだが、これを日本人の本質と理解して諦めるべきなのだらうか。それとも日本国憲法体制の害毒の結果として克服を目指すべきなのだらうか。
十年前なら後者だと断言しただらうが、私も歳をとつて迷ひが出てきた。