洒落のわかる方だ。

先日駝鳥の卵を餞別に贈つた方から届いたとお礼のメールを頂いた。爆笑したさうな。受けたのでひとまづ安堵する。かういふ際物を贈るときはいつも緊張する。いや、贈るときはハイになつてゐるから緊張するのは反応を待つてゐる間か。
ともあれ御嘉納いただけたやうで良かつた良かつた。引かれた日にはその方の評価を下げねばならなかつたので誠に喜ばしい。贈り物を差し上げる程度には友好的な相手が相応の度量を有してゐたことは素直に慶賀すべきことだらう。
「貰つて挨拶に困るシロモノ」であることが私の贈り物としての基本条件だが、だからといつて私は悪意を買ふことを望んでゐるわけではない。むしろ私は他者の寛容を求めてゐる。求める手法が自傷行為で人の気を引くメンヘル並に頭がをかしい人の思考であるといふ気もしなくはないが、今更どうなるものでもない。
その方は駝鳥の卵など一生に一度しか貰ふことはないだらうといたく御機嫌だつたが、一生に二度も三度も貰ふやうなら少し考へた方がと思ふ。