過則勿憚改。

「あやまちてはすなはちあらたむるにはばかることなかれ」。好きな言葉を挙げろと言はれても迷つてしまふこの私だが、嫌ひな言葉を挙げるのは容易であり、これがそれ(何だこの表現)である。
さて先日の日記にこんなコメントを頂いた。


火と熨斗 『>「人の病は、
孔子ではなく孟子です罠。
孟子離婁章句上23。「孟子曰、人之患、在好爲人師(孟子
>曰く、人の患は、好んで人の師に爲るに在り、と)」
ノシ ノシ』
ちなみに私はかう書いてゐた。

「人の病は、人の師となるを好むにあり」と孔子が述べたとか述べなかつたとか。
「述べなかつたとか」とか予防線を張つてゐることに注目したい。公務員試験に受かるだけあつて我ながら姑息極まりない。書いたときは何も意識してなかつたけど。
さて、わざわざ出典まで明示して指摘頂いたわけだが、コメントを頂いたときは正直迷つた。「述べなかつたとか」と記述したことを盾に「ほ、ほら、ちやんと『述べなかつた』つて書いてるぢやないの!」とか書いてツンデレ風味で逃げるか、素直にその日のコメント欄で指摘に感謝しておいて軽く流し、読者の人々には私の適当な知識を書き散らしておきながら私だけこの指摘のおかげでひとつ利口になるとか。
だがさういふ訳にもいくまいからかうして自分の生半可な知識を露呈するやうなエントリ立てることにした。何故なら私は徳の高い男だから。具体的にどれほど高いかといへばウオータービジネス(また懐かしい言葉だなおい)のお姉さま方にも敬語を忘れないところとか。かの元キャバ嬢議員に対してすら、彼女が未だにキャバ嬢だつたら相応の敬意を払つただらう。今? 払ふわけないだらう。年度末で糞忙しいときに31日までに回答汁*1と質問書を寄越す腐れ政党の構成員に誰が敬意なんざ払ふか。いいから折り鶴でも折つてろと。
ちなみに元キャバ嬢の議員だが、こんなことを言つてゐるらしい。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20060428-OHT1T00065.htm
何といふか、差別を糾弾する者こそ差別意識に囚はれてゐるといふ典型的な例にしか見えないわけで。

「(働いたのは)報道で出るまで自分すら忘れたくらいの短い期間ですから。それが私が政治を志したきっかけだとは思ってません。たまたま、それがピックアップされた。それが社会的に批判されるんですか?」
と、働いた期間が短いことを以て自らを他のキャバ嬢と分けておいて、

 「OLに限らず子育てしている奥さんだって、ダンナの雇用が不安で、働かなくてはいけないという人もいる。そういう社会にしてきたのは誰だよ。政治の責任じゃないですか。学生さんも勉強したくても、親も苦しいから自分の学費だけでも払いたいという思いで働いている人もいる。それが社会的に批判されなくてはいけないのかな、と」
女性がキャバ嬢になるのは生活苦が原因であり、政治の責任だと難詰する。
生活苦が原因で水商売に足を踏み入れた者が「自分すら忘れたくらいの短い期間」で抜けられることは、私の見聞した範囲では見当たらなかつたわけだが。


さて。一文の得にもならぬといふのに出典まで明示する親切さで私の記述の誤りを指摘してくれた「火と熨斗」氏には心より感謝したい。お礼の一言を書くだけだといふのに長々と話がずれたが、何、いつものことである。私はまう諦めたので読者の方々もさうしてくれると有難い。

*1:ちなみに年度末といふ時期にする必然性が全く感じられないやうなシロモノ。