愚かな真似を。
いじめ自殺「予告」の手紙、文部科学省に届く
http://www.asahi.com/national/update/1107/TKY200611060341.html
この手紙の主が実際にいぢめられてゐたとの前提でいへば、タイトルのやうな感想しか出てこない。こんなの出して自殺しなかつた日にはいぢめがエスカレートするだけだらうに。手紙の主及び彼と同様の目に遭つてゐる子供達が。といふわけで最早彼は立派にいぢめの「加害者」の一人である。子供であり追ひ詰められた者の視野狭窄を責めるのも大人げないが、随分と罪作りな真似をしたものだとは思ふ。
さて、私は文科省のキャリア様でも教師でもないので、「ぜひ、生きてほしい」などといふつもりはない。自分の身内でもない限り、生きるのが辛いと言つてゐる者に己の感傷のために生きろとはなかなか素面では言へるものではない。いやその立場にある者が「死にたければ勝手に死ね」と言へるわけもないのでその苦衷は理解できなくもないが、彼らはいい年した大人なんだし何より彼らがその地位にゐるのは職業選択の自由を行使した結果だから勝手に苦しんでくれたまへといふほかない。
…何の話だつけか。ああ、どこかの少年(多分)が自殺されたくないなら何とかしる、と文科省に頂上作戦仕掛けたつて話か。恐怖をもつて自己の意思を相手に押しつけようとする発想は正しくテロリストのものであり、安倍政権が「テロに屈しない」かどうかは興味深いところではある。この「恐怖」が「見知らぬ児童のひとつしかない命が失はれること」か「関係各位の無能が露顕して面子を失ふこと」かどちらかはあへて聞かないけど。他人事だと思ふと我ながら筆が滑る滑る。
さてここで戦国時代の武将、清水宗治の辞世を引きたい。
まあ惜しまれるうちに死ぬのも選択としてはアリだよね、と気付くのが二十年程遅くて何もかも手遅れになつた男としては思ふ。
世の間(なか)の惜るヽ時散りてこそ 花も花なれ色も有りけれ
ところで新聞の投書欄とかを見るときにも同じことを思ふのだが、手紙はきちんと宛先に出せと。手紙に名を借りた公開の罵詈雑言にさういふことをいふのも不粋ではあるが。
どうでもいい追記。
- 小中学生は概ね身体をそれほど鍛へてない。
- といふわけで腹に拳を叩き込むことができれば割とどうにかなる。
- 舐めてるから反撃の可能性考へてない場合も多い。
- 小中学生に限らず人体に鍛へやうのない部分は存在する。
- といふわけで眼窩に指突つ込んで時計回りだか反時計回りだか指を回せばころりと落ちる、らしい。
- 流石にやつたことないので確言はいたしかねる。
- また金玉に膝を入れて転がして体重かければ多分潰れる。
- これまたやつたことないので確言はいたしかねる。
- といふわけで眼窩に指突つ込んで時計回りだか反時計回りだか指を回せばころりと落ちる、らしい。
- 反撃の結果相手に重篤な被害を与へた場合について。
- といふわけで実際に障碍となるのは本人の「
殺やる気」の有無。- とはいへこれが一番高い壁なんだが。
- それでも別に蟻と象並に力に差があるわけでもない。
以上割と知られてゐることを並べてみた。念のためいつておくが、事実(と私が見てゐること)を述べただけでかうしろと言ふつもりはない。犯罪の教唆なんてとてもとても。
死ぬのも結構だが、色々試してからでも良い。万一死んだ先にあるのが、エホバの証人のいふやうな「人もライオンもその他諸々の生き物が『仲良く』暮らす世界」、即ち地獄だつたらどうするのかと。
逃げるなら逃げるで逃亡先を確認してからの方がいい。その辺適当だと私みたいになるから。