いやテロには違ひないんだらうけどさ。

長崎市長伊藤一長氏がヤクザに背中から撃たれ*1殺害された。思想の違ひ云々は脇に置いて気の毒と言ふほかない。
で、本日の赤匪新聞社説。

長崎市長銃撃―このテロを許さない

http://www.asahi.com/paper/editorial20070418.html#syasetu1
文章のそこかしこから嬉しさが滲み出てゐて読んでゐるこちらが暗澹とした気持ちにさせられるがそれは措く。


 相手が言うことをきかないからといって、暴力で封殺するようなことがまかり通れば、言論の自由が封じ込められた結果、国の針路を誤った戦前の暗い時代に後戻りすることになりかねない。
ちなみに同じ朝日のサイトにある記事。

長崎市の対応に恨みか 容疑者は市と複数のトラブル

http://www.asahi.com/special/070417a/SEB200704180035.html
自治体にたからうとしてはねつけられたヤクザの逆恨みといふことらしい。それが何をどうしたら「言論の自由」とかさういつた大上段の話になるのだらうか。戦前のテロ事件より、本件で参照すべき事件はこちらの方だらう*2
http://www.shimotsuke.co.jp/hensyu/prize/seigi/index.html
上記の件にしろ今回の件にしろ、「民」の不当な要求を峻拒した結果かかる悲劇を招いた訳で、そこから導かれる何かに言論とか思想とかは余り関係がないのではなからうか*3
この件では政治屋どもが卑劣なテロだの言論の自由を守れだのいきり立つて誠に香ばしいのだが、理由はわからんでもない。利権の分配に手心を加へてやくざな業者を優遇しなかつたからかういふ目に遭つたんだといふわけにもいかんだらうしなあ。口利き有権者の声を行政に届けることは立派なお仕事だし批判されることぢやないよね?
言論の自由を守れ」とか「暴力には屈しない」とかお題目を皆で唱へてゐれば、さういふ暗部には踏み込まなくて済むし自分の米櫃の中身も心配しなくていいもんな。美しい国ですこと。

*1:しかし丸腰の人間を背後から射殺つてのは何をどうしたら正当化できるのだらう。

*2:同和がどうとか書くと吊るし上げ食らひさうで怖いのでそちらは華麗にスルーしておく。

*3:同和がどうとか書くと以下略。