悔恨が胸を噛む。

とりあへず昨日の産経の写真を見る限り、ボランティアやNPOの家族と自衛隊上がりのカメラマンの母親には明らかな違ひがあるやうに見えた。
後者は人様に迷惑をかけた大莫迦者の、それでも自分の大事な息子を案じる母親の目だつた。
問題は前者だ。何といふか、「武装錬金」のパピヨンのやうな目をしてゐた。ドブ川の腐つたやうな目といふやつだ。これが私の政治的偏向に満ちた表現といふならかう訂正してもいい。毛沢東語録』をふりかざす紅衛兵のやうにあるいは水爆で掘削した旧ソ連人工湖(呆れたことに飲料水用らしい)*1のやうに「澄んでゐた」と。つまるところ瞳孔開きつ放しで一目で「あつち側」の人とわかつてしまふ。お茶の間で本日記を御覧の善良な普通人の皆様も同意していただけよう。
で、本項のタイトルだが、昨日の日記について、「ぶつちやけ自作自演」より「メイビー自作自演」と書くべきだつたと、心底私は後悔してゐるといふことを書きたかつた。
少々前振りが長すぎる気もしなくはないが、何、いつものことだ。

*1:コンバットコミックで昔見た