苦情が来た。

Y氏から先日の日記について苦情が来た。訂正しる! と。主要部分だけ引用。


ウンコの話を目を輝かせて話してたなんて、どこかの共産主義者の同人誌みてぇな捏造話までデッチあげやがって!!。
「緑犀浄庵鬱日記」の半分は「やさしさ」でできてをります。ちなみに残り半分は(-@∀@)並の屈折率を誇る社会構築主義的まなざしが鋭く見抜いた「真実」。
といふかアカごときと同列にされるとは心外の胃腸薬*1

それに、「ウンコ」の話は、あくまで「ウンコ」を持ったヤツに追いかけられことが今までの俺の人生の中で最大の恐怖体験だったという話なのに、「ウンコの話」だけじゃまるで俺が「ス○トロ」愛好者みてぇじゃねぇか!
…私の知る限り、この日記の読者に「斜め上」民族や人権(無論他人の)を切り売りする輩はゐないので、そいつは杞憂といふやつである。古い歌にも「youはshock 愛で空が落ちてくる」といふではございませぬか。
丁度良い機会だから、現代日本の賢者、リリー・フランキー氏の著書、「増量・誰も知らない名言集」(ISBN:4344401859)から引用しよう。

 男と女のどちらが悪質な人種かといえば、それはもう圧倒的に18ゲームくらい離して女の優勝である。
 それは、普段の生活の中からしてすでに悪質だ。
 男の会話。男は子供の頃から死ぬまで、年齢を問わずして「ウンコ」と「チンコ」の話が大好きである。いや、むしろウンコとチンコ以外の話を話す意味も価値もない。男がこれ以外の話をしかけようとする時は心にどこかやましいところがあるか、圧力鍋を売りつけようとしてゐるか、まず、どちらかである。
 とにかく、ウンコとチンコの話をしている男の顔にこそ、“少年の瞳”と呼ぶべき無垢な輝きがあるのだ。
 そして、これらの発言などから男は、自分たちはウンコとチンコに接して生きている人間であることを普段から公表して生きているワケだ。
 ところが、女はどうだろう? 男が先日駅で見た極彩色のゲロの話や、酔っぱらってウンコを漏らした時の自らを切り売りするようなエピソードを紹介しているというのに、彼女たちはところ構わずこうである。
 “アロマテラピーの話”
 “かわいい雑貨屋さんの話”
 “プリンス・エドワード島の話”
 “手作りクッキーと紅茶について”
 別にいいんだが、こーゆうところに誠意がないというか、つまり悪質だと言われても仕方のない虚飾の構造があるのだ。
実に慧眼である。私がコメントすべきことなど何もない。かういふイキモノだから、女は「ルールズ」などを有難がるわけだ。度しがたいにも程がある。
唯一神又吉イエスに地獄の炎へ投げ込まれるがいい。


ちなみにオッパイ星人云々も苦情を受けたやうな気がするが、いい加減つかれたので華麗にスルーすることにする。

*1:元ネタ誰ひとりわからなかつたら、私は泣く。