極論上等。極論こそが喪男の華よ。

だがそれがいい(挨拶)。

blogmapで見かけた。こんなのがあるらしい。
http://www.live8.jp/
貧困のまま死んでいく者たちを救へ、と。結構なことだ。表面だけ見れば。世界中から貧困を撲滅するといふのは、すべての人々に等しく「人間らしい生活」ができる程度に生活物資が行き渡つてゐるといふことだらう*1
ところで、地球上の資源を全人類に均分した日には皆で仲良く飢餓に至るしかないといふ話をどこかで聞いた気がするんだが、このミュージシャンやそれに賛同する人々はそれを求めてゐるのだらうか? blogmapから言及してゐる皆々様についてブログをちらと拝見したが、全人類で貧困を分かち合ふべく明日にでも無一物の雲水*2にならうといふ人はゐなかつた気がする。皮肉な言ひ方をすれば、けして世界から貧困が撲滅されないこと、つまり彼と我との較差は縮まらうとも逆転はしないことを見越しての善意であり喜捨の表明であるわけだ。まさか緩慢に自滅の道を歩んでゐるとも思へないし。


さて。
本件に関連して興味深いことを指摘してゐるブログ。
http://plaza.rakuten.co.jp/kawamurakent/diary/200507030000/


で、厚生労働省の資料。
http://wwwdbtk.mhlw.go.jp/toukei/data/130/2003/toukeihyou/0004700/t0099762/HAR0610_001.html
http://wwwdbtk.mhlw.go.jp/toukei/data/370/2003/toukeihyou/0004805/t0102552/HOUH0003_001.html
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/suicide04/index.html
最後にマザー・テレサの御言葉。耶蘇にも人はゐる。皆が皆「ヘルシング」や「ピルグリム・イェーガー」に出て来るやうな輩ではないといふことだ。
http://www.age.ne.jp/x/matchy/teresa.html


成就した日には自分の命が危ふくなる類の善行は大いに結構だが、それが成就しないことをわかりきつてゐてやるのは如何なものか。
だが私はそんなヤサシクてカシコイ彼らが大好きだ。しない善よりする偽善。いい言葉ぢやないか、うん?

*1:話が面倒臭くなるので、精神的なあれこれはとりあへず措く。

*2:いや別に修道士でも構はんが。