更新が滞つてゐたわけだが。

先週末体調不良を押して休日出勤をし、帰りに立ち寄つた漫画喫茶で日記のリンク元を確認したところ、どうやら本日記の読者は本当に反日戦士土橋悦子の絵本の内容に興味がないらしい。そりや期待するなと書いたのは私だが、この仕打ちは正直どうよ。君たちがここに何を求めてゐるかわからなくなつたよ…(´・ω・)
さて。気を取り直して今回取り上げる本。

生徒人権手帳―「生徒手帳」はもういらない (三一新書)

生徒人権手帳―「生徒手帳」はもういらない (三一新書)

本書は、
第1章 基本的人権の歴史
第2章 学校に「生徒の人権」をとりもどそう
第3章 人権をとりもどすための闘いの記録
第4章 国連・子どもの権利条約
といふ構成になつてゐる。一番のキモは第2章なのでそこをメインに紹介したい。何ともアレな風味を楽しんで頂ければ幸甚である。
ちなみに、

フランス革命については、200周年を迎えてその歴史的意義についても多くの議論が起こっている。しかし、たとえ「血と粛清の革命」と呼ばれても、たとえ革命直後にナポレオンによる恐怖政治が行なわれるようになったとしても、
といふやうな記述に端的に見られる通り、政治的偏向がかなり顕著であり、それを楽しめるかが本書の読者に問はれよう。
しかし普通フランス革命直後の恐怖政治といへばロベスピエールを挙げないかね? 何でナポレオンなんだらう。
それではこれから生徒の人権で香ばしいものを取り上げていきたい。念のためいつておくと、本書の掲げる「生徒の人権」とやらの中にはそれなりに説得的なものもあつた。無論本エントリでは一切取り上げないが。今更私のさういふ姿勢について不公平だとそしるやうな方はまさか本日記の読者にはをられまいが、一見さんのためにわかりやすくいふと「ビチグソとカレーを一緒に盛り付けた皿を見て、『なるほどこれはカレーでつね』と評価する『公平さ』なんざ糞食らへ」といふことだ。
では引用開始。第2章「一 自分のことは自分で決める権利」より。

1 自分の服装は自分で決める権利

「制服は軍国主義につながる」からけしからんさうな。


つめえりの出発点である陸軍、セーラー服の原点である海軍、これら軍隊組織では個人としての力は重要ではなく、上官の命令に従って、ただ道具として動くことが要求される。
一体いつの時代の軍隊だ。

3 オートバイに乗る権利


高校生にはオートバイに乗る権利がある。
(中略)
しかし「危険だから禁止」というのはおかしい。それなら「包丁は危ないから使うな」というのと同じレベルではないか。
この部分だけ見ると実にもつともらしいが、これが「制服は軍国主義につながる」といふ寝言と同じ口で述べてゐると思ふと実に味はひ深い。

4 飲酒・喫煙を理由に処分を受けない権利

酒や煙草は「国家に対する反抗のシンボルにもなりえる」さうな。はいはいわろすわろす


法律では、20歳未満の未成年者は飲酒も喫煙も禁止されている。「成長段階にある青少年にはとくに体に有害」というのが理由だろう。しかし、この理由は誰のために有害か」という点で非常に大きな落し穴がある。(中略)また「大日本帝国憲法下での人々の肉体は自分のものではなかった。「天皇の赤子」といわれ、天皇のために死ぬことが美徳とされた時代であった。
つまり、「体に有害」といっても、それが本当の意味で「自分の体」にとって有害なのか、「国家や天皇の体」にとって有害なのかを見極めなければならない。(中略)
未成年者の飲酒・喫煙は法律で禁止されているといっても、酒やタバコを未成年者に売った業者やすすめた大人が罰せられるのであって、やった本人は罰せられないことになっている。これは、「未成年者喫煙禁止法」の第2条・3条・4条、「未成年者飲酒禁止法」の第1条2項・3項に書かれている。だから飲酒でも喫煙でも、やった本人が学校から処分を受ける法的根拠は何もない。
(中略)
自分の体を自分に取り戻そう。そして飲酒も喫煙も、罰せられるのはやった本人ではないことは確かなんだから学校の不当な処分をはねのけよう。
「法律で罰せられるのは酒や煙草をすすめた大人。だからボクたちが責められる謂はれはない」。こんな理屈が通ると本気で、いやさ正気で思つてゐるのだらうか?

12 つまらない授業を拒否する権利

だつたら堂々とさぼつて単位を落としたらどうか。


生徒には、つまらない授業を拒否する権利がある。また自分たちで授業を作り出す権利がある。
(中略)
どんなに教員が声を張り上げておこったところで、魅力のない授業なんて誰がやる気になるものか。生徒は正直だから自分にとって意味がないと思えば、居眠りもするし内職もするのである。(中略)
そんな風に「お情け」で出ている授業なのだから、授業中の内職・読書の自由などは当然の権利だ。
あるあ…ねーよwwwwwww


次に「三 学校に行く権利・行かない権利」から。「二 体罰を受けない権利」はつまらないので省略。こんな風に「お情け」で書いているエントリなのだから、省略は当然の権利だ。

4 学校に行かない権利


そもそも学校というのは生徒のためにあるものだから、行きたいときには自由に行く権利があるし、行きたくないときには無理して行く必要はない。もちろん現状ではそういう主張はほとんど認められていないけれども、ぼくはそう思っている。学校なんてそんなものだ。
(中略)
憲法第26条には「すべて国民は、法律に定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と述べている。これはすなわち“国民の学習権を保障するための条件を整備することは国家の義務である”といっているのと同じことなのだ。学校に行きたくないとき無理して行かなくてもいいような条件作りをすることこそ国家の義務である。
そこまで要求するか。ちなみにかう述べておきながら次の「四 心の自由を守る権利」で「2 成績によってクラス編成をされない権利」といふものを挙げてゐる。「その能力に応じて」の部分は無視。手前味噌な論法だこと。
といふわけで次、「四 心の自由を守る権利」。

6 誓約書を強制されない権利


しかし、この手の誓約書を書く必要はないし、書いたとしてもそれにしたがう必要はない。(中略)入学時に校則の細かい内容やその運用の仕方を生徒が充分にわかっているとは思えないから、入学時の誓約書など無効。
(中略)
誓約書などというのは正式な契約書とは違ってただの紙きれのようなものであり、書くとしても決意表明ていどの意味しかない。
法的なサンクションがないからこそ、男子にとつて誓約とは「重い」のだが。
しかしこの編著者たち、まさか就職活動するときにいちいち社則に目を通してから面接に行つたのだらうか。ちとぐぐつてみた。
google:平野裕二
google:苫米地真理
google:藤井誠二
誰一人勤め人にはなつてゐない模様。さもありなん。宗旨替へをしてゐないのは立派ともいへる。
だが、やはり多くの学生がリーマンになつたであらう当時、かかる言説を鼓吹するのは悪質な煽動といふべきだらう。出版当時これを真に受けた「生徒」の学齢を勘案すると、大体1990年代半ばから2000年前後辺りとなり、確かその頃はいい感じに就職氷河期だつたと思ふ。どのくらゐ就職が厳しかつたかといふと、曲がりなりにも(←ここ重要)旧帝大法学部卒の私が就職浪人した程だ。
彼らの言を真に受けた少年達は無事就職できたのだらうか。

9 何か不都合なことをした場合でも学校に連絡されない権利

本書のハイライト(笑)。


キセルや万引きはやるほうが悪いのだけど、それにしても学校にはなんの関係もない。学校に連絡することはただたんに学校に処分の口実を与えるだけで、問題の解決にはまったくならない。今の学校では、そんな連絡を受ければ教員が生徒とゆっくり話をするなどということはほとんどなく(あっても形だけである)、有無をいわさず処分をくだすだけだからだ。悪いことを見つけたら、その場でしかるなり、罰金を取ればいいのであって、処分を連発する学校に連絡をする必要性などまったくないではないか。
(中略)
何かをして「学校に連絡する」と言われたときも、「学校には何も関係ないじゃないですか」と断固主張しよう。
('A`) …ばか?
いや、疑問形で書く必要もないか。かうして学校に連絡されることを嫌がるところにこそ、被害を受けた側が学校に連絡する有効性と必要性があるのだが、頭か性根のどちらが悪いのか知らないが、理解できないふりをしてゐるやうだ。


では第2章最後、「五 性と人権に関する権利」。

2 セックスをするかしないかを自分で決める権利


それから100%の避妊法がない以上、セックスをするということは、女の子が妊娠する可能性が常につきまとうということ。セックスしようと決心するとき、子供ができたらどうしようとか、二人の将来のことなどについても、前もってよく話し合ってほしい。
(中略)
子供ができたらオロせばいいなどと安易に考えないことだ。
学生が孕んだ場合、事実上中絶が最有力の選択肢にならざるを得ないといふこと、そして彼らもいふやうに100%の避妊法が存在しない以上、学生のセックスを禁止するといふ制限にはそれなりの合理性がある。
ここでは「子供ができたらオロせばいいなどと安易に考えないことだ」と書いてゐるが、これは編著者らのエクスキューズに過ぎない。私がさう断定する理由は次にある。

3 子供を産むか産まないか決めるのは女性自身の権利


ただし、国内法では刑法に「堕胎罪」という罪名があるように中絶はいちおう法律違反ということになっている。こんなものはそもそも廃止すべきなのだけど、今も優生保護法では「強姦による妊娠」「経済的理由」などの場合は合法的に中絶することができるとなっているので、「優生保護法指定医」の看板がある産婦人科に行けば違法行為とみなされることはまずない。ただし、相手の同意書、あるいは未成年の場合は親の同意書を持ってこなければダメだという医者も多い。中絶がまだまだ「女性自身の権利」として認められていない日本の悲しい現実である。


('A`) 悲しいのは貴様の頭の出来だ
子供は一人だけでは作れないのだから、強姦等で本人の意志に反する行為の結果としての中絶以外では配偶者の同意が必要なのは当然であらう。また未成年に手術を行ふにあたつて保護者の同意が必要なのは当然ではないか。


本書の内容を紹介するのはここまでにしたい。結局本書の主張は「生徒の欲望は基本的に肯定されるべきであり、またそれによつて如何なる不利益も受けるべきではない」といふことに尽きる。
ルールの枠内で自由に力を尽くす喜びがある。またルールをあへて破ることの快楽といふものも確かに存在する。だが、上で示した本書の主張はこのいづれとも相容れない。欲望の単なる肯定からは、その欲望の充足がもたらす喜び以外何も得られない。
良識ぶつた大人が嫌な顔をするから、隠れてあるいは公然とやるタバコや酒は旨いし、エロビデオの入手に価値がある。上島竜兵が「押すなよ! 絶対に押すなよ!」と叫ぶから人は彼の背中を押す。さういふことだ。


実に私の長文らしくオチがあれだが、ともかく十年以上前に高校生だつた私はさう思ふ。ときに現役高校生のid:maix2氏はどう思ふかね?