男子の義務?

先日出現した粘着さんいふところの「バカウヨ・ジェンフリ批判・サンケー無教養クズや郎」の愛読紙たる今朝の産経新聞から抜粋。にしても支那に拝跪するくせに片仮名を多用する左巻きの思考法は今一つわからん。もつとも先方からすれば支那嫌ひのくせに漢字を使用するこちらの方がわからんだらうが。それはさうと投稿ボタン押す前に誤字の確認くらゐしような。

父親探しネット活用米の15歳少年精子提供の男性発見


 【ワシントン=共同】十五歳の少年が、米国のDNA検査会社やインターネットを活用して、匿名で精子を提供した実の父を割り出していたことが十四日までにわかった。米紙ワシントン・ポストなどが報じた。
 欧米にはDNAで親子関係や家系を調べる企業がいくつもあるが、匿名の精子提供者(ドナー)の特定に結び付いたのは初めてとみられる。
 同様に匿名のドナーの精子卵子から生まれ、自分のルーツを知りたいと願う人たちは少年の成功を歓迎。一方で米国の精子バンクは「こうした試みが拡大すればドナーのプライバシーが守れない」と警戒している。
(以下略)
エゴだよそれは!>関係者各位
以前もAIDで生まれた子供がルーツをたどらうとして云々といふ記事を取り上げた記憶がある。自らのルーツを知りたいといふのは自然な感情だとは思ふ。が、(AIDはさうではないらしいが)カネで精子卵子を売るやうな輩が自分の生物学上の親であることを再確認することに如何なる意義があるのか不審でならない。仮に自分の家庭に比べて裕福だつたら金でもせびるのか、また逆に困窮してゐたらお人好しにも面倒看るのかとか要らぬことを考へてしまふ。
ところでかういふ場合相続権はどうなるのだらうね? 精子なり卵子なりを提供した時点で、それを用ゐて発生する生命に対する責任は一切顧慮しない旨の書面を作成してゐるだらうことは想像に難くないが、それは生まれてきた子供の権利の主張に対抗できる法的効果を認めて良いものだらうか。自由意志に基づく契約は神聖にして犯すべからず、精子なり卵子なりの提供者と提供を受けた者の間の合意こそが全てであると主張するならばそれも良からう。だがさうすると小学生の時分から淫売に耽る阿呆と買ふ阿呆を批判できなくなるわけで、実に勇気ある態度だと評さざるを得ない。無論私がそのやうな勇気を持たぬが故に。当時者間の合意を絶対視しがちな日本人の危険性については、故山本七平氏が指摘されてをられた筈なんだが。
いづれにしろ家族法の関連条文の再検討もせずに、生物学上の親子関係を持たぬ子を既成事実をもつてなし崩しに実子とするべく動いてゐる連中には軽蔑の念を禁じ得ない。手前の欲望の結果子供に錯綜した社会的関係を押しつけておいて何が愛か。
クローン技術で生物学上の親子関係を確定し、家族法の再検討をもつて法的な関係を整理することがもつとも妥当であらうと私は考へるが、クローン技術については政府が切支丹邪宗門を奉ずる蛮国に遠慮して要らぬ枷をはめ、法的な面については、我が国の民法学者は「父子間のDNA鑑定を無制限に認めると家庭の安定を害する*1」から安易に認めるべかではないと主張してゐたりする。通説でも有力説でもないと信じたいが。
かくして邪教の偏見を排する勇気がない政治家と現実を説く振りをして倫理の不在を追認する法学者のはびこる国で、悲劇はいつまでも続くわけか。いい話だ。そりや皇統も断絶するわな。


ところで本エントリのタイトルだが、記事のやうに精子を提供した場合、その結実としての『子』にどう応へるか、そしてそれは義務なのかといふことと、さらに同日の記事にあつたHIVが自然に治つたがそれについての検査に協力する気はない男性の態度を考察するつもりでつけてみた。御覧の通り話は明後日の方に流れて論旨も意味不明なわけだが、いつものことなので放置の方向で。無論反省などしてゐない。誰がするものか。

*1:つまり法的には実子でも生物学的には異なる親子がゐるが、『父』がそれを知らぬが故に家庭として成立してゐるところが少なくないといふわけだ。