やれやれ。「やるなら殺らねば」くらゐのことは言へんのか。

はてブ注目エントリー経由。
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/51017446.html
余りにもあれなので突つ込んでおきたい。ブログ主は政治的テロを肯定するさうな。それは個人の主義主張だから、「テロを肯定する」といふ言論や態度の表明に留まり、実際にテロ行為に及ぶ(か準備段階)まで止めるつもりはない。反米闘争としてのテロ行為を容認する左巻きプロ市民の皆様についてもこれは同様。私個人はテロに反対だが、それは単に「『エロDVDやエロ同人誌を容易に入手でき、無責任に適当なことを書き散らせるこの気楽な日常』に邪魔」だからであつて道徳的視点とは無縁だし。
さて、本件は加藤紘一氏の自宅を焼くだけで、幸ひなことに人的被害はなかつた。この事件に快哉を上げてゐる右寄りの方々に問ひたい*1
まづ、いくら気に食はぬ相手だからといつて火事や葬式のときに手を差し伸べないのは人の道に非ざる所業である。「村八分」といふ言葉を知らんのか。それともあれか、「ボクはシチーボーイズなのでそんな農村共同体的な田吾作の倫理には興味ないですう」とでもいふのか。もしさうなら宮台真司でも読みながらオナニーして寝ろ。悪いこと言はないから。
次に、今回の件は家を焼いただけで肝心(?)の加藤紘一氏は無傷である。本人の身体に危害を加へず何らかの有形力の行使をもつてしてその意志を左右しようといふのはヤクザや破落戸の振る舞ひといふべきであらう。
ひとつ(いや二つ)昔話をしようか。江戸時代に浅野内匠頭が刃傷沙汰に及んだとき、当時の心ある武士達は「武士らしからぬ振る舞ひ」と彼を批判したさうである。そしてそれからさかのぼること十数年、若年寄稲葉正休は家中随一の剣の遣ひ手に人を確実に殺害する方法を問ふたといふ。「斬ではなく刺」といふ助言(?)に従ひ、彼は大老堀田正俊を刺殺した。まあその場で彼も殺されたわけだが。
で、今回の話に戻る。この「右翼団体」に所属する男とやらは、

  • 攻撃対象を加藤紘一氏自身ではなく加藤紘一氏の家とし(目標設定の誤り、もしくは逃避的選択)、
  • 村八分の際でも周囲の助力が期待できる(つまりそれだけ大事である)火事を起こし(手段選択の誤り)、
  • 屠腹を図りながら火炎に耐へかねて放火した家から脱出(出処進退の誤り)。

とまあ、右翼的視点からすると卑怯未練の極みの手本にしか見えないわけだが。敵と定めた人物を討ち果たすどころか名を成さしめ、なほかつ自決に失敗し、敵の老母を悲しませるだけに終つた今回の愚行のどこを評価できるのか甚だ疑問と言はざるを得ない。
純粋な戦術論としてはこの放火犯を擁護するより、名前が出る前から朝鮮人右翼による自作自演とした「2ちゃんねらー」達の方がまだ「まし」であらう。まあ今から名前が出たところで、そしてそれが所謂在日にありがちな名字でなくとも在日認定する輩は山ほど出るだらうが。


あらためて問ふ。正々堂々「敵」を討つこともせず自決もしくじるやうな輩の何処を評価しうるのかと。

*1:「これは右派に大打撃ですねフヒヒヒヒ」とかいつてる左寄りの方々(ゐればだが)には用はない。