浄庵先生の人生相談室。

>教えて!浄庵先生。
結論から申し上げると『無理』です。武田鉄矢が「人は苦しみが多いほど人には優しくなれるのだから」と、高橋真梨子が「苦しみの数だけ優しくなれるはづ」と歌つてゐますが、あれは嘘なので騙されてはいけません。
国外に目をやると、たとへばお隣の支那は近代以降帝国主義国家群に蹂躙されましたが、その結果今は何をやつてゐるかは申し上げるまでもありませんし、国内に目を転じると、財界のお偉方はかつて安サラリーマンだつたことを忘れてゐるとしか思へない政策提言ばかりしてゐるのはこれまた申し上げるまでもありませんね。
残念ながら、人は苦境を脱すると、今同じ苦境に喘ぐ人にかつての自分を投影して手を差し伸べるよりは、苦境を脱した後の今の自分を基準にして「単なる努力不足」「無能」と断じる傾向があります。「自分ができたことだから、他人もできる筈であり、それができないのは無能か怠惰に違ひない」といふわけです。ここにも、「自分がされて嫌なことは他人にしない」とか、「自ら欲するところのものを他人に施せ」といふ、自己と他者を同一視し、他者が自分とは異なる人生を過ごしてゐるものであることを無視した愚劣極まりない道徳律の影響が見られます。これからの道徳律は「人の嫌がることを進んでしよう」であるべきであり、時節柄具体例を挙げるとすれば、「ホワイトデーのお返しは横浜中華街で購入したゴキブリ茶」であるべきです。ああ、先生いますごくいいことを書いたのでメモ帳を開いてこの部分をコピペしてそのまま閉じるべきです。意味ないぢやないか。
さて。長々書いておいて「うん、それ無理」では芸も情もあつたものではないので一応解決法も示しておきます。「あるなら最初から書けや」といふ気もしますが、かういふものは勿体ぶつた方が有難味があるといふものです。
上に長々と書いたのは、「人は己が味はつた苦難の経験を他者にもさせることに抵抗はない」といふことです。ここに既にヒントが隠されてゐますね。さう、「他者」だからさういふ目に遭はせても構はないといふことなのだから、「身内」になつてしまへばいいのです。ご相談の内容でいふと、「お嬢さんを僕にください!」と言つてみてはどうでせう。ただしこれが成功したとしても、某劇画家の娘さんと結婚したそのアシスタントのやうに逆にひどい目に遭ふリスクがある*1のは留意すべきでせう。

今回の相談室は如何だつたでせうか? ではまた次回お会ひいたしませう。

(上司に息子しかゐない場合について)

あー、「お宅の息子さんは預かつた。返して欲しければ〜」と要求するのはどうでせう(σ・・ ̄)←投げやり

*1:小林源文 中村」で検索してみてください。