或るニートの死。

母から電話。呆れるくらゐ心楽しい話題がなかつた。中でも極めつけは私と同年の町内のニートが先日亡くなつたといふ話だつた。
私がまだ幼い頃、彼は私の友人だつた。私以上に甘やかされて育てられたと思しく、子供心に閉口したのも一再ではない。それでも彼は私の友人だつた。私が周囲の同調圧力に負けて縁を切るまで。
そのことは私の人格形成に少しばかり影を落とした。一つは故郷への愛憎半ばする感情。私を同調圧力でねぢ伏せた田舎の空気を私はいまだに憎んでゐる。二つ目は子供は邪悪であるといふ確信。「子供は天使」などと口にする、自分がかつて子供だつたことを都合よく忘れるやうな奴輩は問答無用で不倶戴天の敵である。三つ目は同調圧力に負けた自分への不信。保育園時代虐めにあつてゐた私は、自らの胆力に信を置かなかつたが、この件で私は決定的に自分を見放した。四つ目は「弱いこと」は「悪」であるといふ確信。些細な差をあげつらつて除け者にする下卑た心性、同調圧力に負けた私の精神の脆弱さ、そして不当な扱ひをはねのけることのできなかつた彼。私はその弱さ全てを悪(にく)んだ。それ自体が自己弁護であることを理解して自らの浅ましさを嘲りながら。
かくして私は可能な限り空気を読めない、読む能力自体を持たない、こと人間関係の機微には愚鈍極まりない上に冷笑的な人間として自己形成するに至つた。所詮臆病者であるから完全に成功したといふには程遠いが、私に嫌悪感を抱く人々は私のさういふところが特に気に入らないらしいからある程度は成功してゐるのだらう。
彼は一応病死ださうだ。彼がニートの道を選んだと人づてに聞いて以来、緩慢な自殺をしてゐるやうに私には思へてならなかつた。そしてかう書くと自分の心根の卑しさに反吐が出るが、彼が「拡大自殺」をやらかすなら私はその対象に入つてゐるだらうと自任してゐた。幸か不幸かさうはならなかつたけれども。
彼は今のところ私のところに化けて出てくる様子はない。そして私は彼の死を悼む気はない。そもそもさういふ心の動かし方をする資格自体を四半世紀以上前に放棄したのは他ならぬこの私だから。