改憲です。正確にいふと廃憲して復憲してその後に改憲です。

いや、http://d.hatena.ne.jp/ryokusai/comment?date=20050504#cで「護憲かい」と聞かれてゐるので。憲法記念日に何も書かなかつたからここでコメントに応答しようと思ふ。




どうせ否定してくれるなら「凡庸」ではなく「モテない」の方が良かつた




('A`)…駄目?
数年来の付き合ひのある方に虚言を求めるのは君子の道ではないか。
―ここから回答―
「内心同じことを思つてゐてもとりあへず批判しとけ」といふのは何も戦後民主主義の弊害ではないと思ふ。郵便ポストが赤いのも私のお尻が痛いのも戦後民主主義の弊害に間違ひないことは明白だが、人のふるまひのうちの醜きもの、それがすべて戦後民主主義に起因するわけではない*1。ああ、なんて公平な男なんだらう私は。私が女だつたら惚れてしまふかもしれん。
さて。最初にこれを書き始めたときは、山本七平あたりを引いて昔から日本にありがちな行動だと論じるつもりだつたが、一寸違ふ気がしてきた。例へばアメリカではレイシストと認定されることは全人格を否定されるにほぼ等しいと聞く。なるほどそれは本当なのかもしれない。だが聞かう。彼らの中にどれだけ人種偏見から自由な者がゐるといふのか。連中の高言を憫笑する例には事欠かない気がするのだが。テレビドラマの配役ひとつとつても、いちいち人種の配分比率を考へねばならないといふ滑稽な話を耳にしたことがある。それは差別への配慮ではなく、差別を糾弾することを腹の足しにしてゐる連中*2への配慮に他ならない。
物凄い勢ひで話がずれていつたので元に戻すと、人は他人の中に悪を見て、それを糾弾するとまでもいかずとも嫌悪することにより、自分のなかのそれをないことにするばかりではなく、さういふ悪しきものを嫌悪する自分を良きものとする生き物なのだ。そして私はさういふ人間たちが大好きだ。
さて、随分長口舌を叩いたが、これでコメントに対する回答になつてゐるだらうか。
―回答ここまで―
('A`)炎上しかねないエントリだから途中で没にしかけた。今はドキドキしてゐる
顔を真つ赤にして反論する余裕はないが、泣きながらコメントやトラバを削除する用意は出来てゐる。毛布を被つて震へる準備も。

*1:ただその多くに勿体ぶつた理由をつけて正当化し助長してゐる側面は多いにあるとは思ふ。

*2:実際にそれで御飯を食べてゐる連中と、正義を唱へてさへゐれば御飯何杯でもいける連中と二種類ゐるやうだが。