本日の調達品。

他の巻も十分読み応へはあるが、第19巻のみ取り上げる。喪男必読の書と信じるが故に。

ローマ人の物語 (17) 悪名高き皇帝たち(1) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (17) 悪名高き皇帝たち(1) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (18) 悪名高き皇帝たち(2) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (18) 悪名高き皇帝たち(2) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (19) 悪名高き皇帝たち(3) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (19) 悪名高き皇帝たち(3) (新潮文庫)


 一言で評せば、不具ではないが不格好な出来ではあったとするしかない。それでも身なりに気を遣うならば不快感もやわらげられたと思うが、その費用には不足しなかったにかかわらず、クラウディウスという人は、そのようなことにはまったく無関心な男だった。
皇帝クラウディウス。この文章の示す通り、実に喪男臭のする男である。そしてやはり喪男らしく、努力(して出した結果)と誠意が好意や評価に結びつかない生涯だつた。
彼の業績については本書を読んで貰ふことにしたいが、ひとつだけ、元老院の欠員補充に際してガリアの部族長たちから自分たちにも元老院議席を与へて欲しいとの請願書を受けた元老院においての演説のみ引用する。携帯で書くには長いので端折るから、興味のある方は本書を手に取られるやうおすすめする。

 ここで、クラウディウスが発言に立った。賛否両論どころか、「否」の議論ばかりが展開されていたにかかわらず、彼は次のように話しはじめたのである。(中略)
「わたし個人の先祖を思い出すだけでも、その最も古い人と言われているクラウススは、サビーニ族の出身だった。その彼がローマに移住した紀元五○五年、ローマ人はこの他部族出身者とその一族を自分たちと同等のローマ市民にしただけでなく、クラウススには元老院議席を与え、貴族の列に加えたのである。これら先人たちが示してくれたやり方は、われわれの時代になっても統治の指針になりうると考える。それは、出身地がどこであろうと出身部族がかつての敗者であろうと、優秀な人材は中央に吸い上げ活用されるべきとする考え方である。
(中略)
 スパルタ人もアテネ人も、戦場ではあれほども強かったのに短期の繁栄しか享受できなかった。その主因は、かつての敵を自国の市民と同化させようとせず、いつまでも異邦人として閉め出すやり方をつづけたからである。
 しかし、われらがローマの建国者ロムルスは、賢明にも、ギリシア人とは反対のやり方を選択した。年来の敵も、敗れた後は市民に加えたのだ。それどころか、他国出身の指導者すら持った歴史が、われわれにはある。七人つづいた王のうちで、二代目の王ヌマはサビーニ族出身であり、五、六、七代目の王たちはエトルリアの出身者だった。また、紀元前三一○年には、その年の財務官ケンソルだったアッピウス・クラウディウスが、国家の要職に、解放奴隷の息子たちを登用した例がある。解放奴隷の次世代への公職の門戸開放は、われわれが思いこんでいるような近い昔の話ではなく、遠い昔にすでに先例がつくられていたのだ。
(中略)
元老院議員諸君、われわれが古来からの伝統と思いこんでいる事柄とて、それが成された当初はすべてが新しかったのだ。国家の要職も、長く貴族が独占していたのがローマ在住の平民に開放され、次いでローマの外に住むラティーナ人に、さらにイタリア半島に住む人々にと、門戸開放の波は広がっていったのである。
 議員諸君、今われわれが態度表明を迫られているガリア人への門戸開放も、いずれはローマの伝統の一つになるのだ。われわれは今、それを討議する上で数々の先例を引いたが、このこともいずれは、先例の一つとしてあげられるようになるのである」
塩野七生に「皇帝クラウディウスは、祖国パトリアの理念を、イタリア半島内に留めることなく帝国ローマの全域に広げるとした、ユリウス・カエサル精神スピリットを再興したのであった。」と評された、実に格調高い演説である。
さて。先帝カリグラの負債を一掃し、ローマの伝統を再興し、公平な税制の維持のために陪審員から嫌がられる程に裁判所に通つた彼は、権力欲の塊だつた妻に殺される。その子ネロを皇帝につけるために。そしてネロは、殺害の疑ひから人々の眼をそらすために亡きクラウディウスの神格化を図る。さうして神格化しておきながら、ネロの補佐官セネカは、彼を物笑ひの種にすべく一文をものした。

『アポコロキュントシス』とはどういう意味であったのかは、現代では研究者でもわかっていない。ただし、十五頁そこそこのこの小文の内容は、『拒絶された神君』と題してもよい感じのものである。死んで神々の前で裁かれることになったクラウディウスが、いかに神君の名に値しない人間であったかが暴露され、最後には神君アウグストゥスからも断罪されるという内容だからだ。
死者を自分でこしらへてさらにまつりあげた挙げ句にこきおろすといふ所業には深い侮蔑を禁じ得ない。いや、今も昔も哲学なんざ人間の屑がやるものだから驚きはしないが。その屑の文章を大いに楽しんだだらう当時の元老院議員や民衆の程度も知れようといふものだ。
以下は塩野七生の弁護。彼女は、クラウディウスは敬意を払はれることの意味を理解できず、誠心誠意やればわかつて貰へると思ひ込んだと断罪しつつもかう評する。

クラウディウスは、元老院にも律儀に出席しては討議は存分にしてくれるよう頼み、法廷にも、皇帝には他に重要任務があるではないかという人々の悪評もよそに、陪審員たちから嫌われるくらいによく顔を出しては、法律の公正な施行に心をくだいたのである。このような生活を十年以上もつづければ、最後には燃えつきたとしても当然だ。殺されたのは気の毒だが、彼の死は、ときを得た死ではなかったか。死んで神々の裁きの場に引き出されたとしても、ローマの神々ならば同情してくれたろうし、アウグストゥスならばこのクラウディウスを、断罪などはしなかったであろうと確信する。
瑕疵はあるものの、まづ善政と評して差し支へない統治を誠意と責任感をもつて行なつたクラウディウス。だが、ただ見てくれが悪いといふだけで他者に敬意を払はれず、そのためコミュニケーション能力が育たぬまま皇帝となつたクラウディウス。彼の生涯から我々はひとつの教訓を学ぶべきであらう。
他者に軽んじられる容貌をもつた時点で、誠意も、責任感も、献身も、そしてそこから生み出された何らかの善きものすらも、評価されないことを。
私は何度かこの日記で中川八洋氏の著書を紹介した。矯激ではあつても、自らの属する共同体の伝統に対する忠誠と、その共同体への献身を説く氏の姿勢は正しいものだらうと考へてゐるからだ。だが、忠誠も献身も、その共同体がその価値を正しく理解してゐなければ只の妄執にしかとられまい。さういふわけで私は喪男に対し公への献身を説く言葉を持てない。成果に対する称賛も、犠牲に対する哀惜も期待できない今ここでそれを説くのはカルトとすらいへない。
だがクラウディウスは、後世に歴史家モムゼンと、そして今ここに塩野七生といふ理解者を得ることができた。だから喪男が後世に知己を求め、何事か善きことを成さうといふならば、私は止めはしない。愚かな、そして哀れな事だとは思ふけれども。
さういへば「愛しい」は「かなしい」とも読むらしいね。


ローマ人の物語 (20) 悪名高き皇帝たち(4) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (20) 悪名高き皇帝たち(4) (新潮文庫)



帯に「池田秀一氏絶賛!!」とか書いてある。
氏も色々ツラいのだらう。種死とか種死とか種死とか。