届かない言葉を綴るのは無駄でしかないけれども。

私は無駄なことが好きでね。といふか「下らないこと」をしてゐるときしか「楽しく」ない。だからこれも「楽しんで」書いてゐるのだと思ふ。その割には気分が底を這つたままだが。

痛いニュース(ノ∀`):中1男子が夏休みの宿題終わらず飛び降り自殺

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/782955.html
はてなブックマークのコメントに私はかう書いた。


子供にとつては家庭と学校とそれに纏はる小さな世界が全て。いつか振り返る日が来れば、それが如何にちつぽけな世界だつたことに気付くとしても。そこを通り過ぎた者が立ち止まつた者を笑ふ図はそれこそ笑止だ。
100字では何か言ひ足りないやうな気がしてかうして日記に書いてゐるのだが、では何を付け加へて書くべきかについては全然纏まつてゐない。字数制限もないから別に良いのだけれども。
今回の件で「この程度のことで自殺するなんて」といふ感想を幾つも見た。その通りだと思ふ。そこから「この程度のことで自殺するとも思へないから別の理由があるのでは」といふのも見た。それも頷ける。上で紹介したサイトには「あれ宿題提出日に「持ってくるの忘れました」が基本じゃないのか?」「夏休みの宿題なんて2学期にやるものだろ・・・」といふのもあつた。全くその通りで私はさうしてゐた。その科目の最初の授業がある日に忘れましたと嘘を吐いてその次の授業がある日にも同じことをすれば一週間は稼げる。「自殺するぐらいなら夏休みの間にやっとけよとしか言えない」といふのも正論だ。ただやれなかつたから自殺したわけで、全く意味のない正論だ。もつとも正論といふのは大抵さういふ意味で何の役にも立たないものだからこの意見がとりたててどうといふこともないが。面倒だから引用するのはこの位にしておくが、いづれももつともであり、私もさうだらうなと思ふやうな見解が多かつた。ところでコメント欄60の話は私も読んだことがあるな。
さて。私はこの少年が「たかが」宿題が終はらなかつた事を理由に死を選んだことについて驚きはしない。前にも書いた通り、家庭と学校とそれに纏はる小さな世界が全てであつたであらう者に対して「たかがそのくらゐ」といつても始まるまい。彼を嗤ふ者たちは、今から見ると余りにも下らない事をさも大事だと思ひ悩んでゐた自分を過去に見出すことはできないのだらうか。まさか子供の頃から天下国家の大事について懊悩してゐたとでもいふのだらうか。だとしたら非常に心強いことだが、その割には現在の我が国の体たらくときたらどうだね君? 大体現在人々が悩んでゐること、恋愛でも仕事でも天皇を中心とする神の国の未来でも何でも良いが、人の悩みなどといふものは他人から見ればほぼ全て「たかがそのくらゐ」のことである。さうでないといふなら、その場合は自分がその悩みの利害関係者であるか、自分も似たやうな問題を有してゐるかである。つまり自分を投影してゐるだけで、それは他人の悩みではなく自分の悩みといふべきであらう。それでもなほ自分は本当に他人の悩みを重大事として捉へてゐるといふ者には「それただの偽善だから」といつておきたい。
で、本日記の常連の方*1で現在重大な(と自分では考へてゐる)悩みをお持ちの方にひとつだけ私から忠告しておきたい。
「深刻に思ひ悩む時点で、その問題を解決する能力は貴方に備はつてゐない」
これは当たり前の話で、解決する能力(知恵、体力、財産等)があれば悩むまでもなくどうにかしてゐるわけで、そもそも悩む筈がないからである。一番足りないのは決断力と諦めだと思ふけど。「一番」とか言ひながら二つ挙げるのか私。
だから深刻な悩みを抱へたときは誰かに頼るといい。親身になつてくれる人は、もしかしたら貴方の代りに問題を解決してくれるかもしれないし、親身になつてくれる「だけ」の人でも精神の安定には役立つだらう。親身になつてくれない人は、それが自然といふものだから別に憤ることはない。彼らはそれこそ「客観的」な視点から何か言つてくれるかもしれない。親兄弟など年長の身内に頼るのもいい。もし取り合つてくれなかつたとしたら、それは彼らが人生の先達として同様の悩みをかつて持ち、それが取るに足らないことであることを経験上理解してゐるからに他ならない。いやまあ単に愛情の不足といふ可能性も否定できないけれど。


などといふことを、昔自分を可愛がつてくれた祖母の葬式にも出席せずにさして重要でもない仕事を水下痢の腹を抱へながら日がな一日片付けてゐた、薄情者のクソ野郎は思ふんだがどうよ。


その晩の酒もやはりいつもと同じ味だつた。不味ければ少しは格好も付くものを。

*1:一見さん? どうでもいいよ。